「労働なき富」が巣食う日本社会
日本社会は不労所得で溢れています。不労所得とは、実質的な価値を労働で生み出していないのにも関わらず、資産の所有によって得られる富のことです。ガンジーもそれを7つの大罪のうちの一つ「労働なき富」として断罪しています。日本社会に蔓延る不労所得は種々ありますが、そのうちの一つは金利です。すでにお金の発行の仕組みで説明したように、ほぼ全てのお金が誰かの借金として発行されれば、その全てに金利がかかり、お金を使う度に我々はそれを間接的に払い、金利を受け取る立場の人たちを利しているわけです。もう一つ大きな不労所得は地代収入です。日本の場合、狭い国土(平地)に人が密集しているため、地価は高くなります。その高い地価は家賃に反映され、全てのモノやサービスの値段に組み込まれます。したがって、これも金利と同じように、私たちは知らず知らずのうちにそれを支払い、土地保有者を利しているわけです。しかも、日本の場合、不動産担保融資が一般的です。不動産取引の場合、建物を建てればその分の価値は生まれますが、土地の売買部分は単なるお金と所有権の交換だけで、何も新しい価値は生みません。にも関わらず、そこに膨大なお金が借金として生まれるのです。そして、その全てにかかった金利が不労所得となり、同時にその融資が土地価格の下支え要因となり、ダブルで不労所得を大きくするのです。経済で動くお金のうち、その大きな部分が不労所得となれば、実際に価値を生み出している勤労者たちの取り分は少なくなります。特に、土地も金融資産も持たない若い世代が、その不労所得の多くを負担します。生まれる時代によってここまで差がつくのは、フェアな社会と言えるのでしょうか?
土地の私有制度から使用制度へ
土地は本来、今生きている人たちが有効に使えれば良いのです。死んだ人たちには不要なものです。しかるに、土地を私有財産とし、それを富の蓄積物のように扱うことで、相続の対象となり、世代を超える占拠が続き、その利用効率を落としています。つまり、その市場性が、返ってその本来の機能、単にそれを使うという機能を損なっているのです。これは本末転倒です。我々は錯覚に陥っているのです。あたかも富が土地に宿るかのように。しかし、それが錯覚に過ぎないことは、例えば被災地の土地が一夜にしてその財産的価値を失ったことからもわかります。土地が富を生むのではなく、本当の富は、それを使った生産活動が生むものなのです。ですから、使われない土地は、何の富も生みません。うまく転売すれば差益が富として残ると言うかもしれませんが、一歩引いてみれば、それは単に所有権とお金が交換され、富が移動しているだけというのがわかるでしょう。新たな富は何も生まれないのです。ですから、国家の観点からすれば、土地の私有制度そのものが、土地を利用しない人、利用するアイデアのない人が土地を持ち続けることを助長し、本当の意味での富を生み出す機会を潰すという意味で、大きな機会損失を生じていると言えます。これを根本的に直すには、土地の市場性をなくし、土地を私有する制度から使用する制度へ、段階的に移行するしかありません。
土地の処分権の停止と政府の買取保証制度
土地の私有制度を使用制度へ段階的に移行する第一歩は、土地の処分権の停止です。これは、民間の土地売買の禁止を意味します。これにより、もし土地を処分したかったら、または新たな買い手が見つかったら、それを直接売るのではなく、まず政府に売却して、新たな買い手は「使用者」として、政府からそれを借りるという方式に変えるのです。同時に、政府は土地の買取保証制度をスタートします。これは、新たな買い手(土地使用者)がいてもいなくても、地権者が求めれば政府がそれを必ず買い取るとい制度で、自己所有の土地を自己使用のために売ることも可とします。つまり、自分が住んでいる土地を一旦政府に売り、住宅ローンを返済し、自らが使用者として政府と借地契約を結び、地代を払って住むことができるということです。一方、所有の土地を売りたくない人はそのまま持ち続けることも可とします。相続も一回まで認めてもよいでしょう。そうすれば、土地を子どもに残したいという希望も叶うでしょう。強制的に政府が買い上げることはしませんし、過去に買った土地の相場が上がっていれば、それを政府に売って利益を手にすることもできますから、財産権の侵害にもなりません。この制度で大きく変わるのは、新たに土地を購入し、それを転売して儲ける土地投機取引ができなくなること、それから、土地担保ローンが絶滅すること。民間が土地を買うという取引自体がなくなるわけですから。しかしその一方で、買い手がつかず土地が処分できないということもなくなります。仮に安くても政府が買い取りを保証するわけですから、塩漬けにする以外の選択肢が生まれ、土地が流動化し、国土の利用効率も高まるでしょう。
買取価格と地代について
では政府はいくらで土地を買い取るのか?もし新たな「買い手」、すなわち土地の使用希望者がいる場合は、地権者と使用希望者で合意した仮想売買価格で買い取ります。基本的に、従来の土地売買と同じように売買価格を決め、それを政府が払い、使用者はその金額をベースに計算した地代を政府に払う形です。売買価格の30分の1ぐらいを年間地代とするのが妥当なところでしょう。例えば実勢価格3000万円の土地なら、政府が3000万円を地権者に払い、使用者は年間100万円の地代を政府に払います。これは自己使用目的も可とします。つまり、例えば自宅の土地を3000万円で政府に売り、自分で年間100万円の地代を払って住むこともできるということです。その場合は、地代の総支払額が買取金額に達した場合、この場合だと30年分、3000万円を払い終わった時点で、本人及びその配偶者が死亡するまで、地代ゼロで住めるという特例を設けても良いかもしれません。気づかれたかもしれませんが、これは実質的に政府による無利子の住宅ローン(土地部分だけ)です。銀行業界からは大ブーイングでしょうが、これは遥かに重要な大義のためです。これによって、たくさんの人を金利から解放できるのです。たくさんの人と言うのは、必ずしも直接住宅ローンを借りている本人だけではなく、日本円を使っている全ての人ということです。何故なら、経済で発生するあらゆる借金の金利は、全ての取引価格に織り込まれ、知らず知らずのうちに我々全員が負担し、不労所得として貸し手に吸い取られているからです。この政策によって、マイホームの夢、人としてごく当たり前の夢と引き換えに借金漬けになっている多くの人を金利の魔の手から救い出すことができます。特に、被災地で二重ローンに苦しんでいる方々にとっては有効でしょうし、これから増える空き家問題には有効でしょう。実際にやるとなると、30分の1が妥当かどうか、また最低契約期間をどうするのか、期間に応じた買取価格の調整、途中解約の(死亡や倒産なども含めた)場合はどうするのかなど、慎重な議論は必要ですが、この政策にはその困難を凌駕するほどの大義があるのです。
土地買取の財源は政府紙幣
では、政府が土地を買うのは良いとしても、そのお金はどうするんだと言われるかもしれません。財源は当然、政府紙幣の発行です。金額は概ね1000兆円。今の日本の時価総額がそのぐらいと言われています。つまり、国土全てを時価で買い取ると1000兆円が新たに発行され、それが民間に流れることになります。M3(ゆうちょ銀行などを入れた現金預貯金総額)がそのぐらいですから、今あるお金が倍になるイメージです。とんでもないインフレになる、あり得ないと言うかもしれませんが、そんなことはありません。まず一つには、これは一気には起こらないということです。総額1000兆円かもしれませんが、全地権者が一斉に売るわけでもなく、売りたい人から段階的に売り、一度の相続も可としますから、少なくとも一世代、30年ぐらいのプロセスになるでしょう。すると年間33兆円。今も政府の借金で年50兆円のお金を発行していますから、あり得ない金額ではありません。それにもう一つ、これは政府が買い取ったとしても、そのお金を地代として回収します。つまり、地代30年分で政府が買ったとすれば、その後30年でそのお金は全て回収できるのです。ですから、全ての土地を買い終わってから遅くとも30年後には、発行したお金は全て回収します。一時的にお金は増えるかもしれませんが、決して発行しっ放しの話ではありませんので、十分コントロール可能です。将来的には地代収入が税収と同じ効果をもたらすので、その分税金を減らすか、なくすことも可能になるかもしれません。しかしそれよりも何よりも、それが既存の土地担保ローンを撲滅し、借金マネーを政府発行マネーに置き換えるという「血の入れ換え」を行い、世の中から膨大な金利を駆逐するという絶大な効果を発揮するのです。
若者に夢とチャンスを
今の日本の社会に若者が夢を描けないのは当然です。土地の私有制度と、その価格の高止まりが彼らを搾取しているのですから。多くの若者は学校から卒業した瞬間、社会の最底辺からスタートします。安い賃金で働いて稼がなければ生きられない状態からスタートするのです。自活しようとすれば、家賃を払い、生活必需品を買います。全ての価格には金利が織り込まれ、お金を使う度にそれを負担するのです。その中には、土地に融資された膨大な借金の金利も含み、なおかつそれで発行された膨大なお金が下支えする地価によって高止まりする家賃を払い、ダブルで搾取されます。高止まりした家賃は、何か新しいことを始める時には大きなハードルです。アイデアがあっても、それを実行すること自体、非常に難しくなるのです。結果、大企業につながれたまま、新しいアイデアを生み出せない老朽化した経営陣の言われたままに働くことになります。社会の新陳代謝が失われるのも当然です。それもこれも、源流はバブルにあります。土地の私有制度、そして土地担保融資が、人の欲望を膨らませ、借金を膨らませ、地価を膨らませ、その連鎖を限界まで繰り返し、何も生産しないまま、最後には借金だけが残ったのです。不良債権処理したのはごく一部、その他の不良債権は広く薄く一般に押し付けられ、少しも減っていません。その証拠に「政府の借金を税金で返してはならない」にあるM2のグラフを見れば、全体のお金の量、借金の量はバブル以降も増え続けているのが一目瞭然です。銀行融資は減ったものの、その分政府の借金でお金を発行し続け、見事に国民全員に押し付けられています。ですから膨大な金利も高止まりした地価もそのまま、バブルの時期には生まれてもいない若者たちを搾取しているのです。こんな馬鹿な話があるでしょうか?ですから、この仕組みを壊さなければならないのです。でなければ、これから生まれて来る全ての子ども達を搾取し続けることになります。逆に、もし勇気を持ってそれを断行し、やる気とアイデアのある若者が、土地を買うことなく、それを使うことができるようになれば、日本はチャンスと夢に溢れる国に再びなれるのです。